話す準備を

話す準備をします

ねじれの位置

オシャレな場所にあるオシャレな美容室にオシャレじゃない自分が遅刻するというのは考えにくいことなので、時間に余裕を持って行動したところ、予約した時間の1時間半前に着いてしまった。原宿である。

 

東京付近に住み始めてから5年が経つが、原宿に来たのはこれで通算十回目ほどだ。この数が少ないのか普通なのかよくわからないが、私が特別原宿を懇意にしていないことは確かだ。そしてまた、原宿も私を懇意にしていない。

 

原宿。おおよそこの文化圏とはねじれの位置にあるところで私は生きてきた。この文化圏にどっぷり溶け込んでいる人が僕の印象を語るとしたらおそらく「真面目そうな彫り深めのひと」ぐらいの解像度で答えるのだろうと思う。それくらい、互いを結びつける概念が乏しい。共通するものといったら、ねぎしと大戸屋くらいだろうか。そして、ここまで「原宿とわたし」について考える自分は間違いなく田舎者だ。

 

そんな折、奇抜な格好をした金髪の男性に声をかけられた。どうやら、カットモデルとして髪を切らせてほしいとのことだ。そもそも髪に問題意識を抱えて今回原宿に来たのだから、彼にとっても最高のカットモデル案件な髪をした人間だったのだろう。

 

「すいません、これから美容院行くんです。」なんて普通なことをちょっと得意げに言いたくなる。美容室ではなく美容院という言葉にしたところに質素なイキリを感じる。「あーやっぱりそうなんすねー。またよろしくお願いしますー。」と言われその場で別れる。

 

「またよろしくお願いしますー。」は完全な社交辞令として、「やっぱり」が気になる。何に対してのやっぱりなのか。私の髪のもさもさ具合がやっぱりなのか、私がカットモデルを断りそうな人だと思っててのやっぱりなのか、あるいはこの人はやっぱりを「うわ〜!」ぐらいの感嘆詞として捉えているのか。

 

 

「やっぱり」という1ワードに頑張って思考を巡らすも予約まで1時間15分ある。またしても訪れた、退屈な時間だ。